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土の記憶
「土の記憶」レビュー
「土の記憶」に対してコメントやメッセージをいただきました。ご一読ください。

イトウさんのこと
青原さとし(ドキュメンタリー映像作家)

2004年、春、私は23年ぶりに故郷・広島に戻った。東京で記録映画の仕事をしていた私は、広島で「足元」を見つめ直す映像記録を続けていこうという思いもあってのUターンだった。帰郷直後、とある縁で出会ったのがイトウソノミさんだった。数年前に北海道からご主人の転勤で広島にこられた方だ。
そのイトウさんがドキュメンタリー映画『土の記憶』を完成させた。これまで映像製作の経験もない彼女が単身、ビデオカメラを携え、広島の戦争遺跡・地下壕をめぐる韓国人被爆者の問題を追求し自らパソコンで編集したのだそうだ。

その志に感嘆し、ぜひみせてもらおうと思い、上映会場に足を運んだ。
映画は30分ばかりにまとめられたものだった。編集や構成が、やはり稚拙で決して褒められたものではなかったが、そこに映し出されている在日韓国人や在韓被爆者の方々の表情や証言内容に瞠目させられた。ほとんど風化したとも思える地下壕を掘った人を広島で探し出し、はては韓国まで取材を敢行、これだけの記録を独自で手がけたイトウさんのバイタリティーと志にまず熱い賛辞を送りたくなった。また広島で戦後60年、この地下壕や在韓被爆者の問題を扱うドキュメンタリーがひとつも出てこなかったことも恥ずかしさと情けなさを思った。
イトウさんに聞くと今回の30分バージョン以降も撮影を続行しており、その撮影ラッシュが 60時間以上ありさらに長尺バージョンを作りたい思いがあることを話された。
僭越ながら私は、それなら編集を手伝おうと名乗り出た。これだけいい撮影で、この30分バージョンの作品で終わらせるのはもったいないと感じたからだ。

以来、イトウさんと私の気の遠くなるような格闘が始まった。
理念や志だけは大きいが、映像製作の経験がないイトウさんに手取り足取りレクチャーし、なんとか60分の形あるものに仕上がった。
この作品は、イトウさんの執念(こだわり)のたまものである。 その執念の根幹は、広島から過去の歴史が消し去られていく現状にほかならない。
特に広島の人に見てもらいたい作品である。

青原さとし監督のホームページ http://dotoku.net/dotoku/


廣島からヒロシマへ
豊永恵三郎氏(韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長)

広島では1945年の原爆被害から始まって将来核兵器を廃絶しようという運動が主流である。1945年以前の廣島を記録しているものは少ない。原爆資料館でも原爆の被害がいかに悲惨であったかを中心に展示している。
1945年以前の廣島は軍都であった。一時的には大本営も置かれ、アジア侵略の拠点でもあった。
現在日本政府は日本の戦争の加害の歴史をできるだけ消去しようとしている。ある面では広島もそれに似かよったところがあるのではないか。
これから平和都市ヒロシマとして世界へ(特にアジア)の認知を得るためには過去の廣島を明確に展示し、反省した上で、核廃絶、反戦を訴えていくべきだろう。
軍都廣島を説明するには充分な資料に基づいた多方面からのアプローチが必要であるが、この映像はその中の一つ地下壕を中心に描いたものである。1945年以前の廣島を知る格好の作品であると思うので、是非多くの人々に見ていただきたいと思っている。


魂のロードムービー
四宮鉄男(映画監督)

『土の記憶』は、深く静かに、衝撃的だった。朝鮮人被爆者というごっついテーマの映画だったが、決して重苦しくなく、爽やかな感じの直球勝負の映画に仕上がっていた。いや、作り手の気持ちはストレートなのだが、映像の語り口はくねくねとうねっている。そこが、おもしろかった。

「軍都・廣島」にかつては大本営があり、戦争末期には各地に大規模な軍事用の防空壕が掘られていた。それを掘っていたのが、朝鮮人だった。

その防空壕は、今、次々に埋められていっていた。イトウさんは、その防空壕を、今、記録しておかなければと思い立ち、撮影を始める。同時に、防空壕を掘った朝鮮人の話を聞こうと奔走する。そして、金さんという病床で療養中の朝鮮の老人と出会う。
イトウさんは、金さんの故郷・陜川を訪ねる。その行動力に圧倒される。
金さんは、韓国尚南道陜川の出身だった。そこは“韓国のヒロシマ”と呼ばれているほど、韓国の中では最も被爆者が多かったところだ。
当然のことながら、みんな老齢になっている。そして、からだを患って、経済的にも、ひどく不自由な生活をしている。韓国に戻ってきた当時は、原爆被害者というだけでひどい差別を受けていたそうだ。だから、原爆の放射能を浴びてきたことをヒタ隠しにしていた人もいた。 そもそも、外国で生活する被爆者に対する援助や保障は、近年までなにも為されていなかった。今も、原爆手帳の交付は日本にやってこなければ受けられないし、証人の見つからない人や、病気で動けない人など、未だに原爆手帳さえ手に入れられない人がたくさんいる。

正直なところ、韓国の、朝鮮人被爆者が今置かれている状況なんてほとんど知らなかった。自分を含めて、日本人も日本政府もいったい何をやってきたのだろう、今、なにをやっているのだろうと、慙愧に耐えない感情を持った。
一つの関心を持って調べ撮影していくうちに次の関心が生まれる。それを調べ撮影しているうちに更に別の関心が生まれる。その興味や関心の拡がり方が実に自然だから、そして、その関心や興味の広がりに応じて話が具体的に展開していくから、観客であるわたしは、実に自然に、無理なく、取材して歩くイトウさんの後を、わくわくしながら追っていくことができた。
そういった意味で、そうだ、この映画は、イトウさんの魂のロードムービーと言ってもいいかもしれない。

四宮鉄男監督のホームページ http://www.geocities.jp/gutetu64/


主婦もしてみむとてするなり 土の記憶
寺田靖範(映画監督)

日本が世界に発信できることのひとつにヒロシマとナガサキがある。映像制作に携わっている日本人の私にとって、ヒロシマとナガサキを描くことは目標だ。もちろんこれまでもいろんな作家たちがこの悲劇を描いている。しかし、それは往々にして被害者としての立場からのものであり、加害者でもあった日本という視点が欠落している場合が多い。両方の視座をもって、私なりにこの歴史を描いてみたいと思っているのだが、道は遥か彼方。未だ一歩も踏み出せていない。
にもかかわらず、広島在住の主婦がヒロシマをテーマにしたビデオ作品を作ったのだという。映画監督もすなる記録映画といふものを、主婦もしてみむとてするなり・・・か。タイトルは『土の記憶』。58分の堂々たる作品だ。羨ま口惜しい。逆上する気持ちを抑え、まずは拝見させていただくことにした。

この作品の存在を知ったのは06年のメイシネマ祭。チラシに「広島在住の主婦が撮った戦争の真実」と紹介されている。作者のイトウソノミさんともその上映会場で知り合った。
しかし当日は『土の記憶』を観ることが出来なかったし、ゆっくり話す時間もなかったので、「来週、広島に行くのでお会いしましょう」と約束し、広島を訪れた際に再会し、話を聞かせていただいたのだった。本当は作品を観てから話したかったのだが、都合がつかず、VHSカセットをお借りして、千葉の自宅に帰って観た。

『土の記憶』は、硬質な本格ドキュメンタリーであった。映像制作を生業としないひとがこれだけの作品を作ったということにまず驚いた。凄いなあと思った。構成もきっちりしていて、破綻なく58分間見せてくれる。テーマが重厚なうえ証言の多い作りだと、教材を見て勉強させられているような気分になり、どうしても段々眠くなってしまうものだ。しかし、韓国人被爆者と地下防空壕に興味をもって記録しなければならないと思った「私」が縦軸に貫かれているので、作者が体験していることを追体験するような気持ちで観ることが出来た。インタヴューが続いて、こちらが集中力を欠いてくると、見計らったように「私」が出てきて、またパッと姿勢を正すことになるのだ。このへんは、編集した青原さんの構成力の賜物か。うまいなあと思った。
しかし、巧妙が過ぎると作者の意図を感じてしまい、興ざめしてしまう。このへんのサジ加減が非常に難しい。きっちり構成されて破綻がないということが、逆に物足りなさを感じさせてもしまうのだった。映画というのは実に難しいものだ。それにしても、青原さんの苦労は相当なものだっただろうと思う。というようなことを想像させてしまうのは、やはり作品としてはマイナスなのだった。うーん。観る前にイトウさんや青原さんにお会いしたため、予断をもってしまったのだろうか・・・。

広島では、記念公園近くの居酒屋で話をお聞きしたのだが、酒を飲むうち、知力に裏打ちされた行動力をもつイトウさんはただものじゃあないということがわかってきて、次第に「主婦」という冠に違和感を覚え始めたのだった。
だいたい主婦とはなんなのか?そもそもの発端は、彼女自身にある。イトウさんが書いたパンフレットの作者紹介の欄に「広島在住の主婦」と記されているのだ。メイシネマの作品紹介文もこれから採ったのだろう。なぜ「主婦」なのか。
「私は映像制作を生業としてないし、学者でもないもんね。だから調査方法の拙さや、作品の出来、不出来に関しては多めにみてね」というイクスキューズなのだろうか。しかし、作品自体はかなりの上出来で、いわゆる映像のプロフェッショナルと云われるひとが作ったものでも、『土の記憶』の足元にも及ばない作品はいくらでもある。ならば、「主婦なのにこれだけのものを作ったんだぞ!どうだ!」ってなことなのだろうか。 うーん。他意はなかったのかもしれないが、どうも違和感が残る。主婦という言葉にはいろんなニュアンスがまとわりついているのだなあと改めて感じさせられた。
地下防空壕が埋められてしまうから記録したいと思い、ビデオで撮影した。地下壕を掘っていたという金さんを見つけ出したので、その証言を記録した。ここまでは良い。しかし、彼の出身地・陜川を訪れるに至っては、飛躍を感じた。「主婦が、なぜそこまで?」
これは予想だが、イトウさんをそこまで動かしたのは、「年老いた母親が死ぬなら韓国でというので、連れて行き、向こうで亡くなったのでした」という金さんの科白を聞いたからではないか。もしくは、彼の出身地が韓国の広島と云われている陜川だということを知って、そこを見たかったのかもしれない。
いずれにしても、物語としては、イトウさんが韓国に行く動機が弱いように感じた。ナレイションでは、「金さんの出身地を見たいと思った」となっているが、ここの動機付けをもっと明確にしてほしかった。たとえば、上記の金さんの科白を受けて、「そこを私は見たいと思って韓国を訪れた」ほうが、「そうだよな。俺も行きたいし、是非見てみたい!」と思って引き込まれただろうし、在韓被爆者のひとたちの話も、もっと興味をもって聴くことができたのではないかと感じた。
細かいことだが、このあたりは観ている者にとっては非常にデリケイトな問題で、気持ちが乗っていくか、離れるかの境目でもある。たとえば、陜川に着いてすぐ世界遺産の話になるが、初めてここを訪れたはずのイトウさんが、さも以前からこの寺のことを知っていたかのように解説を始めると、「えっ!?なんでそんなこと知ってるの?」といったかんじに驚いてしまう。一人称で語る作品は、このあたりが難しい。
最後のナレイションも、イトウさんの正直な気持ちなんだろうけど、「主婦の私がここまで調査してビデオを作ったんだから、あなたたちももっと勉強して視野を広げなさい」と云われているような気がして、「余計なお世話だ」とちょっと反感を覚えたのだった。
繰り返しになるが、モノロウグはストレイトに訴える強さがあると同時に、ちょっとした表現で「偉そうに!お前なんかに説教されたくない」などと反感を買われてしまう。次の作品を制作中だということなので、新作はそのあたりに気を配ってほしい。また、主婦という肩書きはやめるか、もっと意識して使うか、どちらかにしてほしいとも思った。

手法について終始してしまった。内容に関しても述べよう。
防空壕の存在を記録した映像が記憶に残ったが、他にも好きなショットがいくつかあった。なかでも金丁洙さんが慎ましい暮らしぶりがうかがえる家の前にスーツ姿で立ち、帰路につくイトウさんを見送るショットが印象に残った。インタヴューをはじめたときはジャンパー姿だったが・・・、スーツに着替えたのか、別な日に撮ったインタヴューなのか・・・いずれにしても、このビデオを見るだろう日本の人々に対して金さんは一張羅を着たように思えた。その気持ちを察すると、嬉しくもあり、痛みをも感じさせた。日本語を話さないところも良かった。

それにしても、これだけのものを作るイトウさんのパワーは大変なものである。なぜ彼女はこれを作る必要があったのだろうか。自身の好奇心、知識欲を充たすのが目的であれば、わざわざ撮影したり編集しなくても良いはずだ。その労力たるや、考えただけで気が遠くなる。 多分、撮影も編集も楽しかったんだろう。いろんな苦労も含めてだ。でなければ作れるはずがない。そして、次なる作品に取り掛かっているのだという。とすると、もうすぐ映画監督・イトウソノミが誕生するということなのだろうか。
新たな映像作家の出現に期待したい。もちろん、主婦のまんまでも構わないのだが・・・。
次作が楽しみである。発表する際は、是非知らせてほしい。


 
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