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土の記憶
「土の記憶」あらすじ

2000年に北海道から広島に転勤してきた私は、平和公園で「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を見つけ、毎年8月5日、在日韓国人の方たちが慰霊祭を行っているのを見て驚く。韓国語で書かれた慰霊碑の文字には「怨恨」「侵略」「憎悪」などの漢字が書かれていた。 被爆にあっていたのは日本人だけではなかったことを知り、戦争について関心を持ってこなかった自分を振り返る。
ヒロシマを調べようと色々な場所をめぐるうち「軍都・廣島」を知る。現在の平和都市ヒロシマはかつて大本営がおかれていた軍都・廣島で、全国から集まってきた兵隊や物資を戦場へと送る戦争の最前基地であった。市内には軍事施設が数多く点在し、戦時中には軍需産業によって町が大きく発展していた。そこに日本の植民地支配により生活できず生きのびるためにやってきたり、強制的に軍需産業に従事させる徴用工などで朝鮮半島から大勢の人々が渡ってきていたのだった。
私は戦時中の広島を調べているグループ「広島の強制連行を調査する会」と出会い、軍事施設の一つである地下壕を知る。地下壕は軍の機密であったため全貌は解明されていないが、朝鮮半島の人々によって掘られた可能性が高いのだ。
広島市に隣接した海田町にあった第十一海軍航空廠の地下壕は朝鮮人が掘ったという証言が残る貴重な施設。私は広島の強制連行を調査する会の調査に同行し地下壕の内部へ入っていく。
この地下壕を掘った朝鮮人はすでに死亡していると聞き、私は遺族探しを始める。ある日、遺族が見つかったとの知らせを受け尋ねると、なんと地下壕を掘った当人だった。どういう理由でいつ朝鮮半島から広島に来たのか、広島ではどんな暮らしをしていたのか。
在日韓国人の証言者の出身地は韓国の中でも最も多く被爆者がいた韓国のヒロシマ≠ニ呼ばれている韓国慶尚南道陜川だった。 証言者の故郷を尋ねるとそこには戦争の傷を癒すことのできない被爆者が大勢いたのだった。
被爆者の人々の思いは今だに廣島にあった。そして広島に住む地下壕を掘った在日韓国人の思いは故郷にあった。この家族は故郷に墓と家を建て、道路やダム建設など地域に貢献していたのだ。しかし当人は簡単に故郷に行ける状態ではない。病を患っているからだ。
「どうせ死ぬるんじゃったら韓国行って死んだらええなあ思う気があっても、そういうわけにいきませんけんね」
広島で暮らした歳月はすでに故郷で生まれ住んでいた歳月をはるかに越えている。 私は戦争が残した傷跡を知っていくうちに、見えていたのに見ていなかったものがあった自分に気が付いたのだった。

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