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狂夏の烙印 在韓被爆者になった日から
在韓被爆者をめぐるキーワード
在韓被爆者とは
原子爆弾による被爆者のうち1割近くが朝鮮人だったと言われている。1945年8月6日、廣島で被爆した朝鮮人は約5万人、9日に長崎で被爆した朝鮮人は約2万人。そのうち廣島では約2万人、長崎は約1万人の生存者がいたのではないかと言われている。戦後、大多数が朝鮮半島に帰国した。韓国在住の被爆者を在韓被爆者と呼ぶ。
 
韓国のヒロシマ・陜川(ハプチョン)
慶尚南道に位置する陜川は“韓国のヒロシマ”と呼ばれている。韓国国内にいる被爆者の多くが陜川出身者で、そのほとんどが廣島で被爆しているためである。ここには韓国国内で唯一の被爆者のための福祉施設「陜川原爆被害者福祉会館」があり、2011年現在、約110名の被爆者が生活している。
 
廣島・広島・ヒロシマ
戦前から日本有数の軍都として栄え、戦時中は朝鮮半島から数多くの人々が移り住み働いていた。1945年8月6日、アメリカ軍により原子爆弾が落とされ街は壊滅。公的な資料では、当時約35万人前後の人が被害に遭ったと推定されており、即死またその年の末までに死亡した人は約14万人(±1万人)と表記されている。しかし正確な人数は現在も分かっていない。そして生き残った被爆者は今も原爆後障害で苦しんでいるのである。
 
(社)韓国原爆被害者協会(本部・ソウル)

1967年7月に「社団法人・韓国原爆被害者援護協会」として設立。被爆者の補償や救援などを求める運動を始める。71年に「韓国原爆被害者協会」と改称。ソウル、畿湖、湖南、釜山、慶南、慶北、陜川に支部がある。会員数は2,651名(2011年6月現在)。

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